潰れたトマトと喋るカラス

アニメを批評する(佐倉綾音さん贔屓)

連載「アニメオタクは世間に受け入れられるべきか?」 Chapter 1:アニメは芸術ですか?

この連載コラムでは、「アニメオタクは世間に受け入れられるべきか?」という問いについて、さまざまなトピックから考察する。

 

Chapter 1:アニメは芸術ですか?

 

「漫画・アニメは芸術ですか?」

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1095664660

 「アニメは芸術である」、これはオタクが一般人にアニメを受け入れさせるために用いる論法のひとつだ。たしかに、毎日のように深夜放送されるテレビアニメの中には、「芸術的な」風景描写や「文学的な」ストーリーが垣間見える作品もある。では、果たしてテレビアニメは「芸術作品」といえるのだろうか。

 

(1)芸術の定義

 『デジタル大辞泉』によれば、「芸術」とは「特定の材料・様式などによって美を追求・表現しようとする人間の活動。および、その所産。絵画・彫刻・建築などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・映画・舞踊・オペラなどの総合芸術など」のことである。

 この定義をふまえて、Chapter 1では2つの要素について考えることにする。ひとつは、「アニメは美を追求しているか」である。もうひとつは、アニメに一番近いといえる映画と比較して、「アニメと映画の違いは何か」である。

 

(2)美を追求しているか

 アニメを芸術作品と呼ぶためには、それが「美を追求しようとする活動の所産」でなければならない。しかし、ことテレビアニメに関して言えば、この定義に当てはめるのは難しい。ビジネスという面が強すぎるからだ。そこには出版社、テレビ局、映像・音楽ソフトメーカー、アニメ制作会社、声優事務所、さまざまな企業の力が働いている。もちろん制作に携わる者一人ひとりにはそれぞれの思いがあるだろうが、これほど多くの企業が関わっている以上、その第一目標は「利益の追求」と言わざるをえない。

 ただし、これは映画に対しても言えることだ。映画は億単位の金が動くれっきとしたビジネスである。映画とアニメとの間に、芸術かどうかの線を引くものは何だろうか。

 

(3)作者は誰なのか

 映画の芸術性を語るとき、「作者」としての監督の存在は欠かせない。もちろん映画にも多く企業が関わっているわけだが、制作を指揮する監督の力は大きく、「○○監督の作品」という認識は一般的にもなされている。一方、テレビアニメの場合は制作にさまざまな工程があり、監督の仕事や作品内での存在感も映画とはだいぶ異なる。それゆえ、一般層の中で「○○監督のアニメ」という認識はまず生まれない。これはテレビ番組全体に言えることであり、映画に非常に近い存在であるドラマでも、制作者として認識されるのは監督よりもテレビ局のほうである。

 「作者」の存在がぼやけてしまうテレビアニメは、その芸術性を全体的に評価するのが難しい。よって、少なくとも今現在、テレビアニメを芸術作品として認めさせるのはかなりハードルが高いといえる。それはアニメに対する偏見などではなく、制作物としての性質の問題なのである。

※逆をいえば、宮崎駿細田守のアニメ映画が芸術的に評価されているのは、彼らの「作者」としての働きと存在感が世間から認められているということである。

 

(4)おわりに

 私はこの章で、「テレビアニメに芸術性はない」と言いたいのではない。「『アニメは芸術』などという理屈で一般人に認めてもらおうと思わないほうがいい」と言いたいのである。テレビアニメなんて「娯楽」で充分だし、「サブカルチャー」で全く構わない。アニメの芸術性はアニメオタクの中で語ればよいし、一般人に芸術として受け入れてもらおうなんて思い上がりだ、と私は感じている。